秋の夜長に、



(……あ、おでんが食べたい……)
 夏が過ぎ、すっかり肌寒くなってきた秋の夕暮れ時。
 マンションの自室で日課の腹筋をしていたシェリルは、ふとそう思った。
 無性に、熱々のおでんが食べたい。
(……コンビニで売ってるのも好きだけど、土鍋でぐつぐつ煮込んだのが食べたい……)
 思い立ったが吉日、善は急げ。
 シェリルはばっと起き上がって、いそいそとルームウェアを脱ぎ始めた。
 そうとなったら、向かうはあそこしかない。
(こたつでおでん。熱々おでん♪)


 ピポピポピポーン!! と騒音紛い、しかも妙にメロディラインのあるインターフォンの音が鳴り響く。今の今までぐっすり眠っていたアルトは、「誰だ一体……」と呻きながら玄関へ向かった。
 実家で暮らしていた頃の名残で、今も寝る時には着ている浴衣姿のまま、下したままの黒髪を掻きむしりながらドアスコープを覗けば、そこに立っていたのは……
「シェリル!?」
 変装のつもりであろうサングラスを掛けた、シェリル・ノームであった。
「ちょっと! 早く開けなさいよ!! 寒いのよ!!」
「寒いって…、そんな恰好してるからだろう!! 馬鹿!!」
 アルトは慌ててドアを開ける。
 シェリルは、温かそうなポンチョコートを着ていた。が、問題は下である。
 可愛らしく膨らんだ深緑のショートパンツ(いわゆるカボチャパンツというやつだ)。そこからすらっとのぞく美しい脚は、黒のニーソックスに覆われているものの太ももの一部が露出していて、寒そうである。
「あら、こんな時間まで寝てたの?」
 寒い寒いと両手を擦りながら入ってきたシェリルは、寝間着姿のアルトを見て呆れたように言う。
「……面倒な課題が出たんだよ。それやってたら、寝るのが遅くなったんだ」
「フウン。その分じゃ、ゴハンまだよね? ねえアルト、おでん、食べたくない?」
「は? おでん?」
「そう! 熱々のおでんよ!! 食べたいでしょ?」
「……ま、まあ……」
 それも悪くないか、とアルトは思った。
「いいかもな……。買いに行くか?」
 コンビニでいいだろ、とアルトが言えば、シェリルは「ダメ!!」と一刀両断。
「私は土鍋でおでんが食べたいの!! ねえアルト、作ってくれない?」
「ハア!? 俺が!?」
「そうよ!! だって私、作り方知らないもの」
 自信満々に言いきるシェリルに、アルトは「はあ、」とため息を吐いた。


 アルトは渋々私服に着替えて、シェリルと二人近所のスーパーに向かった。
 何せ、おでんの材料が冷蔵庫に揃っていない。
 わざわざ買い揃えることを考えれば、出来合いのおでんを買った方が遥かに楽なのだが、シェリルは頑として譲らなかった。
 むしろ、スーパーで買い物することすら楽しんでいる風である。
(……ま、あんまりスーパーなんか使わないだろうしな。シェリルは)
 シェリルは大学に通いながら歌手として(時にはモデルや女優としても)活躍する芸能人である。食料品や生活用品は、全てマネージャーや事務所が用意しているらしい。
 まあ、シェリル・ノームが普通のスーパーに現れたらパニックになるよなあと、アルトは想像して苦笑してしまう。
 今はその特徴的なピンクブロンドの髪を帽子で隠し、大きめのサングラスで顔を隠してはいるが、その見事なプロポーションには自然人の目が集まる。
 シェリルは美人だ。
 自分の容姿も十分人目を集めていることに気付かず、アルトは「シェリルだからしょうがないよな…」などと思いながらスーパーのカゴを手に取った。


 大根に昆布、ちくわなどの練り物をぽいぽいとカゴに入れていくアルト。
 すると、ふら〜っとどこかへ行っていたシェリルが何かを手に戻ってきた。
「ねえアルト! これもこれも!!」
 シェリルが手にしているのは、ソーセージの入ったパック。
「お、いいな」
「ね。おでんのソーセージって、なんでかすごく美味しいのよね〜」
「だよな〜」
 コンビニでおでんを買う時もついつい選んでしまうソーセージ。
 それから卵や(家にもあるが足りないので)こんにゃく、じゃがいもやタコも購入し、二人はアルトのマンションへ戻った。


「まず、大切なのはしっかりダシをとることだ」
 狭いキッチンに二人並んで、おでんを作る。
「昆布は水から煮出すこと。ま、今日はこれを使うんだけど……」
 と言ってアルトが取り出したのは、大きなペットボトル。
 中には昆布と水が入っている。簡単なダシ汁のストックだ。
「へえ、簡単ね」
 シェリルは感心したようにパチパチと手を叩いた。
「一人暮らしする時兄さんに教わったんだ」
 土鍋にダシ汁をとくとくと注いで、アルトが言う。
 心配性な兄弟子は、アルトが実家を飛び出してからも何かと世話を焼いてくれる。
 こう言っては変かもしれないが、早くに母親を亡くしたアルトにとって兄弟子は兄でもあり母代わりでもあった。
「大根は輪切りにして皮をむく。いきなり土鍋に入れないで、別の鍋で火を通してから土鍋に入れるんだ」
「了解」
 アルトは一番簡単な大根の輪切りをシェリルにさせ、自分は切られた大根の皮をするすると剥いていく。
 ベールのようにひらひらと剥かれていく皮を、シェリルが目を輝かせて見つめる。
「ついでに茹で卵も作っておくか。卵を茹でる時も、水から茹でるんだ。沸騰してるお湯にいきなり入れないよーに」
「ふうん、面倒なのね」
「……お前、間違っても電子レンジで茹で卵作ろうとか思うなよ」
 シェリルならやりそうな気がして、思わず忠告する。
「え? どうして?」
 案の定だ……
「爆発するぞ……」
 アルトが真剣な顔で言うと、シェリルが「えっ!?」っと体を震わせる。
 『爆発』と言ったのが、効いたらしい。
 それがおかしくて、アルトはぷっと噴き出した。
「びびりすぎ……」
「だ、だって、アルトが「爆発するぞ……」なんて脅すから!!」
「ははっ、本当に爆発するんだって。気をつけろよ」
 二人は笑いながら、仲良くおでんの下ごしらえを進めていった。


 あとはしばらく煮込むだけ、という段になって、シェリルが「あー、楽しみー」と伸びをしながらこたつへ向かう。もう自分がやることはないからだ。
 自分の部屋には無いこたつ。
 男の一人暮らしにしては綺麗に片づけられた部屋の中心にどんと置いてあるそれが、シェリルは大好きだった。
(はあ〜、ぬくぬく……)
 最初は普通に座って、んーっとこたつのなかで足を伸ばす。そのままぽすんと後ろに倒れ、気がつけば丸くなって目を閉じていた。
(……気持ちいい……)
 ちゃんと干されているのだろう。ふかふかの座布団は、少しだけアルトの匂いがする。
(……眠い……)
 こたつって、なんでか眠くなっちゃうのよね……
 そんなことを思いながら、シェリルは眠りに落ちていった。


「……おい、できたぞ。シェリル、シェリル?」
 優しく肩を揺さぶられ、シェリルは心地よい夢から目覚めた。
 目の前には、困ったような微苦笑を浮かべているアルト。
「……アルト?」
「お待ちかねのおでんだよ。食べるんだろ?」
「……食べる」
 シェリルはふああっと小さな欠伸を一つ、こしこしと瞼をこすりながら起き上った。
 目の前には、どんと置かれた土鍋。
 ぐつぐつと煮立っているのだろう。ふたがぽこぽこと揺れている。
「おでん!!」
「そ、おでんだよ」
 アルトは苦笑しながら、シェリルの前に取り皿を置いてやった。
 そしてふたを開ければ、真っ白い湯気が溢れ出て視界を奪う。
「良い匂い!」
 とたんに広がる、ダシのきいたおでんつゆの香り。
 やがて視界が開けると、そこには良くダシがしみ込んだ美味しそうなおでんが。
「わあ……」
「……いただきます」
 感動するシェリルを尻目に、アルトは一人手を合わせる。
 そして見事な箸さばきで、ひょいひょいと具を取り分けていった。
 シェリルも慌てて、「いただきます」と両手を合わせる。
 そして、レンゲを使ってひょいひょいと具を自分の皿に取っていく。
 よくダシがしみて茶色くなった大根。
 プルプルのタマゴ。
 結び昆布にゴボウの入ったちくわ。
 真っ白くてふわふわのハンペン。
「美味しい!!」
 これだ! 自分が食べたかったのは。
 シェリルはにこにこと上機嫌で食べ進める。
 アルトはそんなシェリルを見て、「ほんとうに美味しそうに食べるなあ、」と思った。
「じゃがいももけっこういけるぞ」
「え、どこどこ?」
「ほら」
 レンゲですくい上げたホクホクのじゃがいもを、シェリルの皿に入れてやる。
 シェリルは早速それを一口分崩し、口に入れた。
「おいしーい!!」
「だろ」
 これだけ美味しそうに食べてくれるなら、わざわざ作った甲斐があるというものだ。
 やっぱり鍋物は一人で食べるより誰かと食べる方が楽しいな、と思いつつ、アルトも自分の分のじゃがいもを取り分けた。


 少し腹が満たされてくると、今度は酒が欲しくなる。
 このおでんにはビールも良いし、日本酒も合うわね、と思ってシェリルは立ち上がった。
 勝手知ったるアルトの家のキッチン。冷蔵庫から缶ビールを二本取り出して、シェリルはこたつへ戻る。
「アルトは日本酒の方が良い?」
「ああ。できれば熱燗で」
「まかせて」
 シェリルはキッチンに戻って、棚から日本酒を取り出す。
 アルトが実家から持ってきたのだろう。良い酒だ。それを、銚子に入れる。
 そして水を張った鍋の中に入れて、火をつける。
 しばらくすれば、熱燗のできあがりだ。
(このやり方も、アルトに教わったのよね……)
 シェリルはしみじみと、思い返す。マグカップに入れてレンジにかけようとして、アルトに怒鳴られたっけ……と。


 やがて良い感じに温もった熱燗とビールをお伴に残りのおでんも綺麗に完食し、二人は揃って、ごろんと横になった。
(あー……お腹いっぱい……。食べ過ぎちゃった……)
 食欲の秋ってやつか。どうして寒くなると、いっぱい食べたくなるんだろう。
 どうして寒くなると、食べたい美味しいものが増えるんだろう。
 そんなことを思いながら、シェリルはうーんと伸びをする。
 寒くなるのに比例して露出は低くなり、身体は隠しやすくなるが、だからといって油断はできない。食欲の増すこの時期は、より一層プロポーション維持に尽力しなくては。
 自分の身体は商品だ。自分にはそれを最高の品質に保つ義務がある。
 そして自分は、けして食べても太らないような夢のような体質ではない。
 食べたら食べた分だけ運動する。そうした努力が、万人が憧れるプロポーションになっているのだ。
(帰ったらまたトレーニング……。でも今は……)
 何も考えずゴロゴロしていたい。
 シェリルは再び、心地よい眠りに落ちていった。


(……ん……)
 今度はテレビの音で目が覚めた。
 気付けばこたつの上はすっかり片付けられ、代わりにミカンの入った籠が一つ。
 そしてアルトはテレビを見ながら、ミカンを食べていた。
「ん、起きたのか?」
「……私、どれくらい寝てた……?」
「三十分くらいだよ。ミカン、食べるか?」
「……食べる……」
 シェリルはむくりと起き上がって、籠からミカンを一つ手に取った。
 小さいミカン。これもこたつにはつきものである。
 シェリルはミカンを剥くのが好きだ。オレンジのようにナイフでちゃちゃっと剥いてしまうこともできるが、指で地道に剥いていくのも楽しい。白い筋を綺麗にとってしまうと、なんとも言えない達成感を感じる。
 一つ分のミカンを食べ終え、二つ目に手を出す。
 だがそんなに食べたいわけではない(むしろ剥くのが楽しい)ので、綺麗に剥いたミカンを一房、アルトに差しだした。
「アルト、はい」
「ん」
 アルトは慣れたもので、シェリルの綺麗な指先につままれたミカンを一房、口に入れた。
 シェリルと違ってミカンを剥くのが面倒な(だから白い筋はあまり取らない)アルトは、楽で良いとシェリルが剥いたミカンを与えられるまま食べていく。
 まるで鳥の雛のように。
「美味しい?」
「ん、んまい」
「ふふっ……」

 秋の夜は寒いけれど、
 だからこうしてこたつの温もりが嬉しくて。
 秋の夜は長いけれど、
 だからこうして二人でいられる時間も長く感じられて。

 私は結構、秋が好き。
 そう、シェリルは思った。

「あ、シェリルだ」
「え? あ、そのCM見ちゃダメ!!」
「なんで?」
「だってあんまり映りが良くないんだもの……」
「? 可愛いけど」
「っ!! ……アルトの馬鹿……」

 でも秋だけじゃなくて、
 真っ白い雪の降る冬も、
 花咲き誇る春も、
 うだるように熱い夏も、

 一緒に居たいと思うのは……、

 私、だけ……?



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