My Dear



 トリスは夜、一人で眠ることを嫌がる子どもだった。
 兄弟子であるネスティが毎夜、ぐずる彼女をなんとか寝かしつける。
 しかしふと気付くと、トリスはいつのまにかネスティの寝床にもぐり込んでいるのだ。
 不安なのだろうと、二人の師匠であるラウルは言う。
 トリスは聖王国北部の町に生まれ育った浮浪児だ。召喚師としての素質があり、知らずにサモナイト石に触れて魔力を暴発させ、蒼の派閥に保護された。
 知らない大人達に半ば無理やり連れてこられた見知らぬ土地。わけもわからず、トリスは未だこの環境に慣れることができずにいる。
 連れてこられた当初は誰とも口をきかなかった。
 それでも時間をかけ、辛抱強くトリスが自然と心開くのを待ったのがラウル。そして彼の弟子であるネスティも、複雑な想いを抱えつつ、彼女の面倒をよく見た。
 おかげで人並みに話すこともできるようになったが、彼女は未だに怯えている。
 いつかまた、見知らぬ土地へ追いやられるかもしれない。
 この優しい人達の元から、引き離されるかもしれないと。
 だからこそ目覚めた時、ネスティの姿が見えないのが不安なのだろう。
「いっそ一緒に寝てやればいい。トリスも安心するだろう。
 ラウルはネスティの頭を撫でてやりながら、そう言って微笑んだ。
 しかしネスティは眉間に皺を寄せ、「それでは困ります」と言う。
「それじゃいつまで経っても、アイツはここに慣れません」
 いつまでも自分の影に隠れていては、駄目だ。
 それでは一人で生きていけない。
 思いつめた顔で言う愛弟子に、ラウルは苦笑した。
「まだ幼いのだ。慣れるまで、お前がついていてやればいい。そのうち自然と一人で寝られるようになる」
「でも……」
 ネスティは、うつむいて言葉を濁らせる。
「……ネスティ?」
「……僕は……、いつまでアイツについていられるか…わからないですから……」
「……それは……」
 ネスティは、かつて大罪を犯した融機人《ベイガー》の一族・ライル家の末裔である。
 その身は蒼の派閥の厳しい監視下に置かれ、その進退は派閥の意向によって定められる。今でこそラウルという優しい保護者の元にいられるが、いつ、どうなるとも知れない。
 それでも、ネスティは派閥から離れては生きていけない。
 融機人《ベイガー》はこの世界、リィンバウムの疾病に対する免疫がない。故に定期的な投薬を受けなければいけないのだが、その薬を調合できるのは蒼の派閥だけなのだ。
 自分の命は、派閥に握られている。
 いつまで一緒にいてやれるかわからない。いつまで生きていられるかわからない。
 少年は自分の置かれている状況を、悲しいほどに理解していたのだった。


 数日後。
 ネスティはラウルに頼み、大きなクマのぬいぐるみを買ってきてもらってトリスに手渡した。
 少女は初めて与えられたぬいぐるみに戸惑いながらも、恐る恐る抱きしめる。
 つぶらな瞳が可愛い。毛並みもふかふかと柔らかくて気持ち良かった。
「気に入ったか?」
 トリスはこくこくと頷いた。
 よほど気に入ったのだろう。その日は一日中ぬいぐるみを手放さなかった。
 その様子を見て、ネスティは安心した。
「トリス。こいつがいるから、もう一人で寝られるな?」
 その日の夜。いつものようにトリスを寝かしつけに来たネスティは、クマのぬいぐるみを彼女の隣に置いてやって、言う。
 トリスはネスティと、そして隣のクマの顔を見てしばらく黙りこんだ後、小さく頷いた。
「よし」


 しかし、それから数刻後――
「………なんで……」
「すう……すう……」
「なんで君がここにいるんだっ!!」
 あるはずのない温もりを感じ、目を覚ましたネスティの隣にはすやすやと気持ちよさそうに眠るトリス。
 いつの間にもぐり込んだのだろうか。しかもご丁寧に、クマのぬいぐるみまで持参している。
 ぬいぐるみと、そしてネスティのはざまでトリスはとても安らいだ顔で眠っていた。
 その顔が、ネスティの苛立ちを煽る。
「トリス!」
「!!」
 突然大声で名を呼ばれ、トリスはびくっと目を覚ました。
「どうして一人で寝られないんだ!」
「………」
「トリス!!」
「……や!!」
 眉間に深い皺を寄せて怒鳴るネスティに、トリスが涙を溜めながら叫ぶ。
「いや!!」
 そして、手に持ったぬいぐるみでぼかぼかとネスティを殴る。
「トリス!!」
「ネスじゃないと、や!!」
 泣きじゃくりながら、ネスティの腹に抱きつく。
「トリス……」
「ネスじゃないと……いやなのぉ……」
 ネスティは茫然と、しがみついて離れない妹弟子を見た。
(……なんで……)
 そんなこと言うんだ。
 自分が焦がれて、それでも諦めようとしていることを。
(なんで……)
 この少女は、ためらいなく口にする。
「……っ……。きみはバカか」
「ううー」
「……いつまでも、一緒にいられるわけじゃないんだぞ」
「や!!」
「突然、きみの前からいなくなるかもしれない」
「や!!!」
「そうしたらどうするんだ。今から、一人に慣れておかないと……」
 辛いと、口にするネスティの瞳からも涙が零れる。
(あ……)
 その時、ネスティは初めて気付いた。
 辛いのは、トリスではない。
「ネス……?」
 離れがたく、思っているのは……、
(……僕……)
 自分の方なのだ。
 何も知らず、知らされず。
 屈託なく、自分を慕ってくれるこの小さな手を離すことが怖かった。
 だからこれ以上辛くなる前に、突き放したかった。
「ネス……いたい……? いたかった……? ごめん、ごめんなさい」
(僕は……っ)
 自分が叩いたせいでネスティが泣いている、そう思ったのかトリスは必死に謝って彼のお腹を撫でる。自分がお腹を壊したとき、ネスティがそうしてくれたように。
「なかないで、ネス。ごめんなさい、ごめんなさい」
 ネスティはたまらず、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。
「怒鳴ってごめん……。もう痛くないよ。大丈夫だ」
「ネス、だいじょうぶ? いたく、ない?」
「ああ。大丈夫……。大丈夫だよ……」
 ぽんぽんと、背を撫でてあやすように身体を揺らしてやる。
 そうすると、安心したのか。トリスはまたゆっくり、眠りに落ちていった。
 トリスを自分の隣に寝かせてやって、ネスティは思う。
 この手を離すことはもう、できない。
 もう気付いてしまったから。目を逸らしていた自分の気持ちに。
 だから、せめて、
 いつか別れの時が来ても彼女が一人で立っていられるように、
「トリス……」
 傍にいよう。守っていこう。
 その時が、来るまでは。
 少年はその時、静かに涙を流しながら決意したのだ。
 彼女の抱える一切の罪を隠し、けして傷つくことのないよう、
 傷ついても、立ち上がれるよう、

 この少女を守り育てていこうと。



「……ん」
 かすかな身動ぎとともに、ネスティは目を覚ました。
 薄暗い室内。まだ夜は明けていないらしい。
 そして、自分の背にあたる慣れた温もり。
「すう……すう……」
 裸のまま、ネスティの背中にぴたりと抱きついて眠るトリス。
 そのあどけない寝顔は、あの頃とちっとも変っていない。
 ネスティは自分の寝床にもぐり込んでくるトリスをなんとかしようと奮闘していた頃のことを思い出し、一人苦笑する。
(自分の身代りにぬいぐるみをなんて、我ながら子供じみた知恵を働かせたものだ)
 成長するにつれ、自然とトリスは一人でも寝られるようになった。
 ほんのちょっと、それをさびしく思ったかつての自分。
 あの頃から、ずいぶん遠くまで来たものだ。
 ネスティが隠し続け、一人で背負っていたライル家、そしてトリスのクレスメント家の罪は最悪の形で露見してしまった。
 しかし、それはきっと必然だったのだろう。今、ネスティとトリス、そしてアメルは自分達の宿命と向き合い、乗り越え、生きている。
 ネスティが機械魔メルギトスの撒き散らした原罪(カルス)を浄化するため、身を変えた大樹の傍の小さな家。
 トリスはここでずっと、いつ戻るともしれないネスティを待ち続けた。
 そして今は、世界の浄化を終え彼女の元へ戻ってきたネスティと一緒に暮らしている。
 兄妹弟子としてではなく、恋人同士として。

 少年だったネスティが諦めていた幸せは今、確かに――

「んん……。ネス……?」
「おはよう、トリス」

 此処に、在った。



inserted by FC2 system